8年目に突入したウチのパソコンに不具合発生。
先日より、ブログ更新が満足に出来ない状態に陥っている(苦笑)
(まぁ普段からサボってるけど・・・^^;)
というわけで、復旧までお待ち下さい。
って、誰も待ってねぇか(笑)
先日より、ブログ更新が満足に出来ない状態に陥っている(苦笑)
(まぁ普段からサボってるけど・・・^^;)
というわけで、復旧までお待ち下さい。
って、誰も待ってねぇか(笑)
以前の記事にも登場した悪友Hの家に、このシングル盤はあった。
これはHの父親のレコードである。Hの家に遊びに行くと、密かにこのレコードを聴くのがオレの楽しみになっていた。
時は1971年春、不肖tettin小学校6年生卒業間近のある日のこと。
いつものようにHの部屋でこのレコードを聴いていると、オレの頭にある考えがひらめいた。
それは、卒業式のあとの謝恩会で、このレコードに合わせて劇をやったらウケるんじゃないか・・というものだった。
ちなみに、この謝恩会というのは、卒業式のあとに、担任をはじめ学校関係者を講堂に集め、卒業生がクラスごとに歌やお芝居を披露し、これまでの小学校生活に感謝しようという会なのである。
オレたちのクラスでは既に学級委員長をリーダーとするコーラス隊の「手のひらに太陽を」がエントリーを決めていたが、もう1チームエントリー必要だったのだ。その頃、既にロック魂が芽生えつつあったオレは、「手のひらに太陽を」などという軟弱な唄は口が裂けても唄うことは出来なかった。もちろんHも即座に賛同。
そんなアウトローたち数名が「宮本武蔵」への参加を希望したが、役どころは木っ葉侍やカラス。もちろん主役の武蔵はオレで、Hは小次郎である。嫌がるK美を無理やりお通と美女の一人二役に仕立て上げ、この怪しげな音楽劇はスタートした。そしてそれまで和やかに、しかも感動的に進行していた謝恩会の雰囲気は「宮本武蔵」で一変したのだった。
後で聞いた話によれば、はじめは客席で穏やかな笑みを浮かべていたオレたちの担任だったF(男性)も、曲が進むにつれ徐々に顔色が変わり、「人一倍女好きの・・・」のあたりになると茹でた蛸のように顔が紅潮。「女の色気に誘われて・・・」の頃には息も絶え絶え、カラスが糞を落としていく頃には気絶しそうに真っ青だったという。もちろん、校長をはじめPTAの会長、他の教師たちの冷たい視線が担任Fに注がれていることを、熱演しているオレたちが気付くはずもなかった。
そして、最後にジャイアント吉田 猪熊虎五郎が「よさほい節」を唄いながら何処へか去っていく頃には、既に担任Fの姿は講堂から消えていた。
その後のFの消息を知る者は誰もいない。
というわけで、この曲を聴くと遠い懐かしさと同時に、微かな心の痛みを感じるオレなのである。
ドンキー・カルテットの「宮本武蔵」。
これはHの父親のレコードである。Hの家に遊びに行くと、密かにこのレコードを聴くのがオレの楽しみになっていた。
時は1971年春、不肖tettin小学校6年生卒業間近のある日のこと。
いつものようにHの部屋でこのレコードを聴いていると、オレの頭にある考えがひらめいた。
それは、卒業式のあとの謝恩会で、このレコードに合わせて劇をやったらウケるんじゃないか・・というものだった。
ちなみに、この謝恩会というのは、卒業式のあとに、担任をはじめ学校関係者を講堂に集め、卒業生がクラスごとに歌やお芝居を披露し、これまでの小学校生活に感謝しようという会なのである。
オレたちのクラスでは既に学級委員長をリーダーとするコーラス隊の「手のひらに太陽を」がエントリーを決めていたが、もう1チームエントリー必要だったのだ。その頃、既にロック魂が芽生えつつあったオレは、「手のひらに太陽を」などという軟弱な唄は口が裂けても唄うことは出来なかった。もちろんHも即座に賛同。
そんなアウトローたち数名が「宮本武蔵」への参加を希望したが、役どころは木っ葉侍やカラス。もちろん主役の武蔵はオレで、Hは小次郎である。嫌がるK美を無理やりお通と美女の一人二役に仕立て上げ、この怪しげな音楽劇はスタートした。そしてそれまで和やかに、しかも感動的に進行していた謝恩会の雰囲気は「宮本武蔵」で一変したのだった。
後で聞いた話によれば、はじめは客席で穏やかな笑みを浮かべていたオレたちの担任だったF(男性)も、曲が進むにつれ徐々に顔色が変わり、「人一倍女好きの・・・」のあたりになると茹でた蛸のように顔が紅潮。「女の色気に誘われて・・・」の頃には息も絶え絶え、カラスが糞を落としていく頃には気絶しそうに真っ青だったという。もちろん、校長をはじめPTAの会長、他の教師たちの冷たい視線が担任Fに注がれていることを、熱演しているオレたちが気付くはずもなかった。
そして、最後に
その後のFの消息を知る者は誰もいない。
というわけで、この曲を聴くと遠い懐かしさと同時に、微かな心の痛みを感じるオレなのである。
ドンキー・カルテットの「宮本武蔵」。

ブルースの女王といえば、淡谷のり子・・・ちゃいまっせ。
「ロバート・ジョンスンを読む」にも、たびたび登場するメンフィス・ミニー。
ちゅうわけで、今夜はこのご婦人をちょっとご紹介したい。
そもそも、この人の名を最初に知ったのは、ZEPPⅣ の重厚なラストナンバー「WHEN THE LEVEE BREAKS」のクレジット。(ムチャクチャヘヴィーなアレンジになってますけど・・・^^;)
実はこのオリジナルがメンフィス・ミニーなのだが、唄っているのは旦那さんのカンザス・ジョー。
メンフィス・ミニーとカンザス・ジョーか・・・いいなぁ、夫婦揃ってのこのスカした芸名。
(日本人なら、さしずめ十勝花子と東京ぼん太といったところか・・・?さすが五十路のオレ)
活動時期は1920年代末から50年代頭までと結構長く、残した作品も200曲以上。活動拠点もメンフィスからシカゴへと流れ、晩年を再びメンフィスで迎えている。ロバート・ジョンスンの先輩格にあたり、もしかしたら何らかの交流があったのかもしれない。
幼くしてギターやバンジョーを覚え、13歳の頃には既に通りに出て唄っていたというメンフィス・ミニー。彼女の唄とギターの凄みは、あれだけ強烈なキャラクターの男衆がひしめいているブルースの世界においても迫力満点、唯一無比。
時に激しく、時に優しく、そして蓮っ葉なデルタブルースは、その美貌とともに過酷な労働から束の間解放された黒人たちの心を癒したに違いない。もうひとりの女王ベッシー・スミスとはまた違った泥臭さが魅力。
このCDは歌詞カードも何も付かない廉価なチェコ盤の2枚組みだが、主要な作品はほぼ網羅されている。
オリジナル「WHEN THE LEVEE BREAKS」はミニーの歌唱ではないので、今夜は「HOODOO LADY」を。
ミニーの前では、ジャニスもまるで赤子。
つーか、考えてみれば、ジャニスのようなシンガーも、密かに真夜中の十字路でデヴィルと契約していたのかもしれんな。
ゾクッ。

デルタのむせかえるような熱気。
週末のジュークジョイントで繰り広げられる一夜の喧騒と享楽。
昨日もなく、明日もない・・・ただ今を楽しむためだけに機能する音楽が、時を超え、国を超え、人種を超え、多くの人々の心を虜にしてきた。いやぁ、スンげぇいい本でした。
この本を読みながらまず圧倒されるのは、著者の長年培われたロバート・ジョンスンについての膨大な知識量と、ブルースに対する卓抜した見識である。 と同時に、激しく呼び起こされるのが、ロバートがギター片手に唄い、さすらい、酒と女に明け暮れた1930年代のミシシッピ・デルタへの果てしない憧憬。生誕の地ヘイルズハーストからスリー・フォークスがあったグリーンウッド、はたまた深夜にギター修行を積んだという墓場や、何処とも知れぬ伝説の四辻を訪ね歩きたいという欲望に激しく駆られる罪な本でもある。
行ってみてぇな、ミシシッピ。(笑)
とはいえ、ロバート・ジョンスンのようなミステリアスで偉大なブルースマンについて、オレのような凡人がこの本を読んだだけで理解するなど、とてもじゃないが不可能である。そもそもレヴェルが高すぎて・・・(^^;)。
しかし、ありがたくもこの本には、その片鱗を伺い知ることができるヒントを数多く示唆してくれている。
ロバート・ジョンスン本としては間違いなく質・量ともに最高峰に位置する力作だと思う。
特典のCDに収録されている楽曲も、オレ程度のブルースファンならば、サン・ハウスやブラインド・レモンは手持ちのCDがあるものの、ほとんどは聴くタイミングを逃して一生を終えてしまいそうなもの(メンフィス・ジャグ・バンドなど・・・)ばかりである。そうして気に入ったものをまた買い漁るという、これまたPヴァインの思う壺(笑)となるわけで、そういう意味でも、このスペシャルCDは果てしない憧憬をさらに刺激する罪な逸品と言えるだろう。
つーわけで、どうも一回だけでは書き尽くせそうもないので、今後は徒然なるまま、雑感風に書き散らして行きたいと思う。
今夜はこの辺で・・・。


う~ん、こりゃ読み応えありそうだべ(^^)。
結構分厚い本なので、じっくりと味わいながら読み進めたいと思うべさ。
というわけで読書感想文は、また後日・・・。

発売中のレコード・コレクターズ 9月号では、生誕100年に因んでロバート・ジョンスン特集が組まれている。
国内盤「センテニアル・コレクション」に封入されている分厚いブックレットでも、スティーヴン・C・ラヴィアによる詳細なロバート・ジョンスン・ヒストリーを読むことが出来るのだが、この特集でも佐野ひろし氏がまた新たな切り口で読ませてくれる。
思わず鳥肌立ったのは、ロバート・ジョンスンと「耳なし芳一」を対比させた後藤幸治氏の考察である。
ロバート・ジョンスンが悪魔と取引して超絶なギターテクニックを授かったというクロスロード伝説の真偽はともかくとして、まだ駆け出しの頃、ギターの練習をしていた場所が墓場だったという話は結構信憑性があるようだ。そのロバートと、平家の怨霊に魅入られて夜毎墓場で得意の琵琶を掻き鳴らす芳一との対比には、思わず唸ってしまった。
さらに、ブルースマスター・小出斉氏による全テイクガイドも圧巻。自らもギターを演奏される氏の技術的な解説は必見。
で、この特集の中で気になった一冊の本がある。
「RLーロバート・ジョンスンを読む アメリカ南部が生んだブルース超人」(日暮泰文・著 / ブルース・インターアクションズ) がそれだ。
ロバート・ジョンスン本では、トム・グレイブス の「クロスロード伝説 」、ピーター ギュラルニックの「ロバート・ジョンスン―伝説的ブルーズマンの生涯 」などがあるが、いずれも翻訳もの。
こちらは初の日本人によるジョンスン本である。しかも、著者はブルース・インターアクションズ(Pヴァイン)の創業者でもあり、日本におけるブラックミュージック普及の功労者、日暮泰文氏。

2011年、生誕100年を迎えた史上最も革新的なブルースマン、RLことロバート・ジョンスン。
その深層へと切り込む渾身の一冊!
RLの亡霊をアメリカ南部に追い求め、当地の社会・文化背景を手がかりに、残された29曲を深く丹念に考察、RLの革新性と人間性に鋭く迫る。
ロバート・ジョンスンの本当の姿とは?
あのクロスロード伝説が意味するものとは?
(紹介文より)
この本には、初版限定で「ロバート・ジョンスンと彼の生きた世界を知るための20曲(著者選曲・解説付)」というPヴァイン渾身のCD1枚(^^;)がつくという。
もちろん即注文したオレ。
そういや明日は命日か・・・。


お盆である。
こういう時期に、今は亡き巨人に思いを馳せるのも悪くない。
ということで、最近買い求めたロバート・ジョンスンのアナログ盤2枚。
ロバート・ジョンスンはCDのみで、レコードは持っていなかった。ところが古いパイオニアのプレーヤー(PL30LⅡ)の調子が意外と良いので、思い立って行きつけのJUKE RECORDSで購入。
何と言うことはない、普通のUS盤である。価格も各1000円程度。
やっぱジャケットはデカイほうが良い!(笑)
この2枚のオリジナル盤は、ジャケットのイラストレーションが秀逸。特にVOL.2 は、当時の録音風景が描かれており、壁に向かって演奏するジョンスンの画からは、ホテルの一室らしい現場の雰囲気がほのぼのと伝わってくる。
ともあれ、溝から掻き出されるアナログ盤の音には言い尽くせぬ魅力がある。
こういう暖かみや深みはスペックには現れない音のマジックである。

などとカッコつけて見せたところで、何となく「白人ブルースギタリスト列伝」みたいなものでも書いてみようと該当するギタリストを書き出しながら、ふと手が止まった。
ブライアン・ジョーンズ
デュアン・オールマン
ポール・コゾフ
ロイ・ブキャナン
スティーヴィー・レイヴォーン
そして日本人からは塩次伸二・・・
もしかしてクロスロードの伝説ちゅうのは生きているのか? と思わず愕然としたのだ。
ホンマにお盆である。
享年64歳。 また一人、素晴らしいロッカーがこの世を去った。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌

夏休みゴジラ祭りだよ!全員集合。
ゴジラ全作レビューも、やっと8作目「ゴジラの息子」まで到達した。
生まれつきズボラな性分のため、遅々として進まないのである(笑)
この映画が公開された時、オレは既に9歳になっていた。
ゴジラの息子・・・今考えれば「何ちゅうタイトルをつけてくれたんや」、と文句の一つも言いたくなるが(^^;)、当時これはこれでなかなかインパクトのあるタイトルだった。
オレの記憶では「ミニラ」という名前は子供向け雑誌の公募で決定されたものではなかったか。この辺の状況はあまり定かに記憶していないが、こういう経緯もあり公開前から学校ではミニラの話題で持ちきりとなった。絵心のある者はチラシの裏に上手にミニラの絵を描いて見せた。このようにミニラへの興味は果てしなく募ってゆくばかりで、この作品に限ってはゴジラ映画を観に行くというよりも、ミニラ観たさに劇場へ足を運んだ子供も多かったのではないだろうか。
(但し、劇中ではミニラという名前は出てこないのだが・・・^^;)
そんな本作に登場する新怪獣は、幾多のゴジラ対戦相手のなかでもいぶし銀の輝きを放つ、巨大なカマキリのカマキラスと巨大な蜘蛛のクモンガである。派手さは無いが、手堅い攻撃でゴジラ親子を苦しめる。特撮的にも、密林の中を歩き回るカマキラスなんぞは、思わず拍手を送りたくなるような秀逸さである。
また、ヒロインである島の娘サエコ(前田美波里)の健康的な美しさも特筆モノで、本作の価値を大いに高めている。

ゴジラ映画は、第1作からその時々の世相やムードといったものを作品の中に反映させて来た。
今回は、当時教育ママゴンなどが登場した学歴偏重の世の中に一石を投じる・・・などという意図があったかどうかは知らないが、劇場に詰めかけたオレたちは、ただただミニラの一挙手一投足に歓喜し、カマキラスやクモンガの執拗な攻撃に地団駄を踏んで悔しがっていたのである。ゴジラ映画が、子供向けの映画に大きく舵を切った作品でもあった。
雪に包まれながらゴジラ親子がしっかりと抱き合うラストシーンは、日本人の心に激しく訴えるゴジラ映画史上屈指の名シーンである。
怪獣島の決戦 ゴジラの息子 (1967年12月16日公開)
制作 / 田中友幸
監督 / 福田純
特技監督 / 有川貞昌
脚本 / 関沢新一・斯波一絵
音楽 / 佐藤勝
出演 / 久保明、高島忠夫、前田美波里、平田昭彦、土屋嘉男、佐原健二
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