宮本武蔵 ~ ある謝恩会での悲劇
これはHの父親のレコードである。Hの家に遊びに行くと、密かにこのレコードを聴くのがオレの楽しみになっていた。
時は1971年春、不肖tettin小学校6年生卒業間近のある日のこと。
いつものようにHの部屋でこのレコードを聴いていると、オレの頭にある考えがひらめいた。
それは、卒業式のあとの謝恩会で、このレコードに合わせて劇をやったらウケるんじゃないか・・というものだった。
ちなみに、この謝恩会というのは、卒業式のあとに、担任をはじめ学校関係者を講堂に集め、卒業生がクラスごとに歌やお芝居を披露し、これまでの小学校生活に感謝しようという会なのである。
オレたちのクラスでは既に学級委員長をリーダーとするコーラス隊の「手のひらに太陽を」がエントリーを決めていたが、もう1チームエントリー必要だったのだ。その頃、既にロック魂が芽生えつつあったオレは、「手のひらに太陽を」などという軟弱な唄は口が裂けても唄うことは出来なかった。もちろんHも即座に賛同。
そんなアウトローたち数名が「宮本武蔵」への参加を希望したが、役どころは木っ葉侍やカラス。もちろん主役の武蔵はオレで、Hは小次郎である。嫌がるK美を無理やりお通と美女の一人二役に仕立て上げ、この怪しげな音楽劇はスタートした。そしてそれまで和やかに、しかも感動的に進行していた謝恩会の雰囲気は「宮本武蔵」で一変したのだった。
後で聞いた話によれば、はじめは客席で穏やかな笑みを浮かべていたオレたちの担任だったF(男性)も、曲が進むにつれ徐々に顔色が変わり、「人一倍女好きの・・・」のあたりになると茹でた蛸のように顔が紅潮。「女の色気に誘われて・・・」の頃には息も絶え絶え、カラスが糞を落としていく頃には気絶しそうに真っ青だったという。もちろん、校長をはじめPTAの会長、他の教師たちの冷たい視線が担任Fに注がれていることを、熱演しているオレたちが気付くはずもなかった。
そして、最後に
その後のFの消息を知る者は誰もいない。
というわけで、この曲を聴くと遠い懐かしさと同時に、微かな心の痛みを感じるオレなのである。
ドンキー・カルテットの「宮本武蔵」。