鷹ジャンパー
小学生の時に、西鉄ライオンズ対東映フライヤーズのナイター試合を観戦して以来、平和台球場にはよく通った。ライオンズが去って、1989年にホークスがやって来た時も、いち早くファンクラブに入会したもんや。お気に入りの選手は、ドラこと山本和範。ケンカっ早くて、チャンスに強いのか弱いのか(笑)よく分からんところがオレのロックンロール魂を刺激した。
よく外野の酔っ払いの野次にやり返して、怒らせとったな。
さて、もう着る事も無いこのスタジャン。ベースは一般ファン向けに販売されとったシロモンやけど、それは選手が着とるものとは似て非なるもの。そのチャチさ加減は、本物志向のオレにはとても納得できるもんや無かった。そこで、オレは出来るだけホンモノに近づけようと、中洲の某刺繍屋さんにお願いして、ロゴの周りの縁取り、ワッペン、背面の鷹の図柄等に全て刺繍を施したのだった(大枚はたいて・・・アホです)。もちろん、番号は山本選手の29。
極めつけが背中のこの鷹(笑)。一般用はビニールに図柄を印刷したものが縫い付けられとるだけっちゅう、なんとも安っぽい仕様だった。刺繍屋さん、いい仕事をしてくれました。
しかし、山本がホークスを離れてからは、ほとんど球場にも足を運ばんようになった。
外野の応援風景にもうんざり気味やし、いつの間にか魅力あるプレイヤーもおらんようになってしもうたしね。
監督でいえば、故根本さんの頃が好きやったね。ドームが出来たばっかりやったし、トラックスラーやライマーといった魅力的な外人選手もおったからね。当時トラックスラーの博多人形はえらい人気アイテムやったよね。外人選手といえば、武闘派のバナザードなんかも印象に残っとる(笑)。
今となっては、ホークスが来る前のガランとした平和台球場の外野スタンドで、寝転がってホームランうどんを食いながら観戦しとった頃が懐かしいね。ロッテがよくホーム・ゲームを持って来よった。回りも野球に詳しいヤツばかりで・・・こじんまりした応援団はおったけど、今みたいに北○鮮のマスゲームのような集団応援は無かった(笑)。
まぁ、球団からみれば、こんなオレのようなロートル・ファンが一番迷惑なんやろうけど(笑)。