いとしのジザベル
明日6月15日は何の日かといえば、これは全国的に父の日ということになっている。
まぁそれは今年たまたま父の日が6月15日に巡ってきただけであって、実はザ・ゴールデン・カップスのデヴュー・シングル「いとしのジザベル」が発売されたのが41年前、1967年の6月15日だったのだ。
作詞・なかにし礼、作曲・鈴木邦彦という職業作家によるデヴュー曲は、ムード歌謡の雰囲気さえ湛えた怪作である。当のメンバーたちは「こんなの馬鹿馬鹿しくてやってられない」という思いが強かったらしいのだが、その代わりにライヴは好きなようにやるという交換条件でレコーディングしたというのは有名な話。そのレコーディングにしても、B面の「陽はまた昇る」の歌唱を巡っては、当時のディレクターに「コブシ」まで入れさせられたと、デイヴ平尾が映画「ワン・モア・タイム」DVD未公開インタヴューの中で嘆いていたのが印象的だった(笑)。
ファースト・アルバム「ザ・ゴールデン・カップス・アルバム」に収録されている「ジザベル」に比べて、こちらのシングル・ヴァージョンはエディのファズを目いっぱい効かせたギターが大幅にフューチャーされていて、疾走感のある、なかなかパンクっぽい仕上がりになっているのが面白い。
とはいえ、曲のコンセプトは完全にグループサウンズのそれである。それまで本牧でグループ・アンド・アイの先鋭的な演奏にシビレていた連中には、到底受け入れがたいものだったに違いない。
「いとしのジザベル」と「陽はまた昇る」を初めて聴いたのは高校の頃、やはりマディ・マツオ君から聴かせてもらった「ザ・ゴールデン・カップス・アルバム」に入っているヴァージョンだったんだけど、そのときはやはり異質な感じがしたよね、この2曲は。その他の曲がむちゃくちゃカッコよかったから。
でも大人になって聴くと、「不本意ながらも・・・」っていう中でも、結構楽しんで演奏してるカップスも良いんだよね。こういう曲もあってこそ、カップスの独特の世界に一層の深みを与えているんだと思う。