水爆大怪獣映画・ゴジラ
所謂ゴジラマニアと呼ばれる人々の間では、この作品が反核・反戦映画であるか否かと言う問題が重要なテーマであるらしく各所で熱い議論が展開されているようだ。
小学校1年の時に見た「三大怪獣 地球最大の決戦」。そして「怪獣大戦争」と、ゴジラは子供時代のオレの絶対的なヒーローだった。
そんな中、NHKテレビで放映された第1作「ゴジラ」を観た当時のオレは、そのあまりの陰鬱さに呆然とした。あの大好きなゴジラが突然理解不能の怪物に変貌したのだから。
しかし、年を重ね何年か後に観た「ゴジラ」は極めて明瞭にオレの中に染み込んできた。
この作品に係わった重要な人物は5人である。
プロデューサーである田中友幸、監督の本多猪四郎、特殊技術の円谷英二、音楽の伊福部昭、そして原作を書いた香山滋。水爆でよみがえった怪獣という設定を思いついたのは田中だが、この香山滋の原作こそが「ゴジラ」という映画の性質を決定付ける重要なファクターであることには疑問の余地は無い。
「ゴジラ」が公開される前、昭和29年10月号の「日本探偵作家クラブ会報」に彼はこういう言葉を寄せている。
”ぼくはこの作品を構成するに当たって、故意に程度を低くしたり、俗受けを狙ったりするような態度に出ませんでした。それどころか、ぼくはぼくなりに原子兵器に対するレジスタンスを精一杯になげつけてみようとそれに重点を置きました。形式は映画のための筋書きですが、その芯となる意図は、作中の化学者、芹沢大助なる人物によって充分代弁させてあると信じます。”
「ゴジラ」を観た人ならばお分かりのように、劇中で青年化学者芹沢は己が作り出したオキシジェンデストロイヤーを呪うのだが、ここにもまた欲望のまま破壊兵器を作り出す者たちへの痛烈な風刺が込められている。
香山滋という作家は、「深海へのファンタジア」「南への憧れ」などというエッセイを書くくらい、手付かずの自然界に特段の思慕を持っていた人である。そういうものを破壊する原子兵器を激しく嫌悪していた事は想像に難くない。
だからといってオレは「ゴジラ」が反戦・反核映画だとは思わない。「ゴジラ」は日本が生んだ最高のエンターテインメント映画だと思っている。しかし”一発凄い映画を”と意気込んだ田中、本多、円谷にしても戦争体験者。各々の映画に対する思いは違っていてもこうした香山の意は充分に汲んで撮影に臨んだはずである。また、天才肌の音楽家、伊福部はなおさら敏感にこの映画の尋常ならぬ雰囲気を感じ取ったに違いない。
だからこそ「ゴジラ」にはその底流に不条理なものへの怒り、恐れ、悲哀が感じられるのだ。
冒頭のような議論はどうでもいい。大事なのは「ゴジラ」を大いに楽しみ、その後でその人の中にこういう”小さなしこり”が残るか否かだ。
ゴジラ (1954年11月3日公開) モノクロ作品
制作 / 田中友幸
監督 / 本多猪四郎
特殊技術 / 円谷英二
原作 / 香山滋
脚本 / 村田武雄、本多猪四郎
音楽 / 伊福部昭
出演 / 志村喬、河内桃子、宝田明、平田昭彦